最近の若いやつは、、、
「昔は良かった」「最近の若いやつは」
このセリフはおじさん達がクダを撒くときの常套句である。
「最近の若いやつは」の後に続く言葉は大抵批判的な言葉が多い。
「昔は良かった」にしても、現代を批判するニュアンスが含まれている。
実はこれらのセリフ、古くは古代エジプトや古代ギリシアの時代から言われていたようで、日本では平安時代の書物にも記されている。
つまり年寄りが若者やその文化を批判するのは大昔から変わっていないのだ。
しかし、いつの時代も、文明と文化を発展させてきたのは「批判を受ける若者達」である。
「最近の若いやつは、、、」とおじさんやおばさんは若者を批判するが、ルールやマナーを守れないのは圧倒的に中年に多い気がする。
今度スーパーやデパートに行った時に確認していただきたいのだが、
障害者用の駐車スペースに悪びれることもなく平気な顔で駐車している大半がピンピンしたおっさんかおばさんだ。
一見で障害者なのか、また何か理由があるのかまではわからないにしても、もし「入口が近いから」などといった理由だけで障害者専用駐車スペースに停めているのだとしたら、いくら人生経験豊富でそれなりの地位がある人物だとしても、クズである。
たまに子供も連れたファミリーで停めちゃうアホな顔した親を見ると「クズ人間の英才教育か〜」と思わず唸ってしまう。
と、中年と若者どちらがマナーを守るかという話はまたいずれするとして、本題は
「若者(現代)を批判する風潮はスノーボード業界にもある」
ということだ。
ダブルコークだトリプルコークだという今の若いスノーボーダーについておじさんスノーボーダーの間でよく語られるのが、
「今の若い子達は回転数を追い求めすぎてスタイルが無い」
「昔は回転数ではなく高さとスタイルで観客を盛り上げた」
といった指摘。
これについて筆者の考えを言わせていただく。
まず、スノーボードにおける「スタイル」という言葉には「コレをやったらカッコ良くなる」「アレをやればイケてる」といった正解などなく、見る側にとっても好みで評価は変化する。
グラブした姿勢にスタイルを見出す人もいれば、あえてノーグラブに美学を追い求める人もいるし、型や姿勢ではなく高く飛ぶことにこだわる人はその「高さ」がスタイルになる。
パークに、カービングに、グラトリに、パウダーに、着こなしに、道具に、ライフスタイルに、、、、どんな場面だろうとその人が追い求めるものが「スタイル」である。
だからこそ、スノーボードにおいて「スタイル」という言葉は明確に定義されていないのだ。
そんな個人の好みに左右される言葉を持ち出して「スタイルがある、ない」というのはナンセンスだし、回転数だけを引き合いに出してスタイルを語ること自体トンチンカンである。
では、簡単に「スタイル=個性」として考えてみよう。
「今の若い子達は回転数を追い求めすぎて個性が無い」
「昔は回転数ではなく高さと個性で観客を盛り上げた」
これにも全く説得力がない。
おじさんスノーボーダーの思考回路には、なぜか「回転数(難易度)が上がると個性(スタイル)がなくなっていく」という先入観が植えつけられているようだ。
おじさんスノーボーダーが憧れの海外ライダーのトゥイークを見分けられるように、今のキッズ達は憧れるライダーのダブルコークを見分けることができる。
おじさんから見たら同じように回ってるようにしか見えなくとも、キッズ達はそこに個性とこだわりをしっかりと見出しているのだ。
そして「スタイルがない」なんて批判を無視して、日々スノーボードを進化させている。
人は自分が理解できないことを批判しやすい。
中年の若者批判の構図もわからなくはない。
自分より進化している若者を理解できないからだ。
ただ、理解できないから批判するというのは
ダサいからやめたほうがいいだろう。