冬を愛すること
ようやくスキー場もちらほらオープンし始め、この季節を待ち望んでいた方も多いのではないだろうか。
先日某スキー場にて、おそらく皆さんと同様にスノーシーズンを待ち望んでいたのであろうと推測される、ある人物と出会った。
その男性はリフトを待っていた。
やや細身で年齢は50歳代くらいだろうか。帽子とゴーグルを着用しているため、顔の全貌をうかがうことはできないが、残された顔のパーツからは時代の荒波に揉まれて形成された分厚い皮膚感やあらゆる経験を経てきた者特有の哀愁を感じ取ることができる。
男性の足元に目をやると、男性はスキーを履いている。
スキー板、ブーツはスノーボーダーの私でもわかるほどお世辞にも新しい物とは言えない代物だ。ウェアも然り、テレビでたまに目にしたことのある「バブル時代のスキーウェア」といった感じで年季も伝わってくる。
そして私はこの男性のストーリーを勝手にこうイメージした。
「若い時から趣味でスキーを始め、今でもたまに雪山に行く。しょっちゅう行くわけではないので、ギアやウェアを新調するまでもなくのんびりと安全に楽しんでいる人」と。
驚くこともない、限りなくありふれた、まさに「よくいる人」だ。むしろほとんどのスキーヤーやスノーボーダーは年齢を重ねるにつれそうなっていくのだろう。
そんな「よくいる人」がなぜ私は気になったのか。
それは、ある「仕草」を見たからだ。
その男性の「仕草」を見て、私はその男性の勝手なイメージにある印象をプラスした。
「若い時から趣味でスキーを始め、今でもたまに雪山に行く。しょっちゅう行くわけではないので、ギアやウェアを新調するまでもなくのんびりと安全に楽しんでいる人、、、
そして、この人は冬を愛している」と。
その「仕草」とは「口笛」だ。
男性はリフトを待っている間、口笛を吹いているのだ。なんとも楽しそうに。
周りも騒がしいので、控えめな口笛は周囲に溶け込んで特別男性を煙たがる人はいない。
礼節、我慢、それなりの地位を身につけているであろう中年男性がリフトを目前にして口笛を吹いている。
その光景を目にして思った。
性別も国籍も年齢も障がいも職業も年収も技術も滑走日数も道具の新旧も、関係ない。
楽しめばいい、ただそれだけだ。
私はその男性を見て、自分も60歳になっても心躍らせていたいし、きっとそうなれるんだと思い描いて嬉しくなった。
私のリフト乗車の順番が来て男性とはそこでお別れになったが、今シーズンがとても素敵なものになる予感を感じていた。
そしてリフトの上で思った。
『あの人の口笛、全っっ然音出てなかったな〜』
と。
ヒューヒューおじさんが素敵なシーズンを送ることを祈るばかりだ。
了